ゲームにおけるリアリティとは
ゲームにおけるリアリティってどんなもの?というのを個人的にまとめてみました。これが正解だ、というのがないものですしゲームごとに違ってくるものなので非常に感覚的な話にですがよければご一読くだされ。ゲーム論みたいな本があれば読んでみたい。←普通に探せばありそう。
リアルな表現のゲームが増えてきた
ファミコン時代からスーパーファミコン、プレイステーション・・・PS4とドンドン処理能力が上がってきて、表現できるモノやコトが増えてきたゲーム。ドットで作られたキャラクターが動いていた時代と違って、今はリアルな3D表現が当たり前になってきている。人物だけでなく、周囲のオブジェクトも当然キャラクターに合わせて写実的に作られていて、正直ファミコンからプレイしている身からすれば、技術の進歩はすさまじいなと思わずにいられない。すべてのゲームがそのようなリアルな頭身や写実的な背景を使っているわけでもないので、一部のゲームなのだけれどもそれでもやはりリアルな表現のゲームというのは年々増えている。
非常にリアルなグラフィックが特徴のFallout4
リアルな表現につきもののなのが、それがどこまでリアリティがあるかということだと思う。マリオが超人的なジャンプをしても許されるけど、龍が如くの桐生一馬が路上からビルの屋上までジャンプしたら許されないのは、リアリティがないから。一般人には難しいけど、桐生一馬は馬鹿力があるからマンホールの蓋を振り回して敵をぶっ飛ばしたりするのは、リアリティがあるといえる。
日本製ゲームでは珍しい、現代社会を舞台にしたアクションRPG
このあたりのリアリティがある・ないをどう判断するかには結構個人差があるような気がしている。判断とは例えば大雑把に言えば、「ドラゴンの生態についてもきちんと設定があったほうがいい」とか「ファンタジーなら何でもあり」というようなもの。
リアリティのあるなしについて話題になる場合に特に免罪符になっている気がするのがこの「ファンタジー」というキーワード。このファンタジーという言葉が設定に使われている時点で「ファンタジー=なんでもあり」だと捉えるケースが少なからずあることに違和感を覚える。
ファンタジーは何でもありの免罪符ではない
現実とは違う世界の話なら、現実と違ってどんなことが起きても問題なしではない。鳥のような羽が生えていなくても空を飛べるキャラクターがいるとしたら、「そういうものか」で済ませられるわけがない。何かしら理由があるから空を飛べるのだ。理由は何でもいいが、羽がなくても空を飛べる設定が必要なのは、その世界の登場人物とその世界を外から眺めるプレイヤーとの共通認識が必要だからだ。共通認識がズレるということは、独りよがりな世界になるということだと思う。
世界観(この場合の世界観という言葉が正しいのかちょっとわからないが)が独りよがりになればプレイヤーは何か違和感を覚える。その都度、「なんで?どうして?」といちいち疑問を持たなくてはいけない。そういった疑問がプレイの邪魔をするし、没入感を途切らせる。そういった共通認識のズレはグラフィックがリアルになればなるほど顕著になる。なのでリアルになればなるほど納得できるようなフィクションが必要になると思う。
ちなみに「ファンタジー」というと、剣と魔法の世界という風に捉えられがちだけれども実際は現代日本を舞台にしていたって、現実世界でありえない特殊な事柄が含まれている時点でそれはもうファンタジーの範疇にあると思う。
どんなことが違和感を生みやすいかを例としてあげてみる。
- なぜ年端もいかない幼女が巨大なアックスで敵をなぎ倒せるのか
- なぜ移動手段が徒歩のみなのか(バスやタクシーになるようなものはないのか)
- なぜ主人公は便利な銃ではなく技術の習得に時間のかかる剣で戦うのか
- なぜ電気がインフラとして確立されてないような世界でパソコンや電子機器があるのか
こういった「なぜ」は沢山出てくる。現実世界と違う事柄があるならそれの理由がどこかで説明されていたほうがよい。具体的に説明がなくとも、「この世界観なら十分に考えられるな」と思わせるほどのフィクションが構築されていてほしい。
説得力のあるフィクションとは
例えば、
『りんごを落とせば地面に落ちるのは重力があるからだけど、ある場において特殊な装置を用いることで重力が消え去り無重力になり、その場では自由に空を遊泳することができる。』
この場合に「自由に空を遊泳」という部分に納得するためには、「特殊な装置」があることが設定としてあればフィクションだけれども納得できる。この場合の特殊な装置の中身についてはブラックボックスでも問題ない。要は、現実にはなかなかありえないがソレがあることでフィクションに説得力をつけているということが必要だということだ。
無重力状態については比較的現実世界でも考えられることなので、突飛なことでもないけれど、例えば、幼い子供が魔法を使えるのは「実は見た目は幼いが実年齢が数十歳で、何年も魔法の修行をしていたから」とかどうみても現実的ではないが、それをまるで本当のことのようにみせる設定があることでリアリティを与える。
ただ、このあたりのフィクションの設定付けについては微妙な線引が必要だと思っている。なんで何十年も年齢を重ねているのに見た目は幼いのか?などと突飛過ぎる設定は他の疑問を抱かせるだけになる。ギャグものということでなければあまり突飛な設定は世界観を壊しかねないので、ある程度バランスをもった設定にすべきだと思う。
極端に言えば、剣と魔法のファンタジー世界のゲームであればゼロからとまでは言わないまでも世界設定を構築しておくべきだと思う。地球とほぼ一緒の文化・歴史の上でなにか特異な点があるというような世界であれば、その特異な点に関わる設定をしっかり作っておくべきだと思う。
というのも、いくらでも矛盾が見えてくるからだ。例えば銃火器を保持する軍隊があるような世界で、主人公は何故か剣を武器にしている、などということ。日本は現実として銃火器は存在するが、「銃砲刀剣所持取締法」があり一般市民は銃や刀剣類の所持は禁止されている。簡単に手に入れるすべもない。なので現代日本を舞台にするゲームであれば、主人公は一般市民であるかぎり銃を武器にすることは出来ない(設定でいくらでも可能だが)。では、ファンタジーゲームではどうかとなるとその辺りの説明が特にないのに、「敵は銃を所持している」が「主人公側は剣を装備している」という感じになる。
FF7では個人的にまだ許容できるレベルだった気がする。頭身の低さなど漫画チックな印象がある。
主人公は剣の達人、とか言われても銃が当たり前の世界でなんで剣なのか?となるのが普通だし、「そこはファンタジーなので」という言われてもリアル調な世界でそこだけ急になぁなぁというのも納得しきれない。ドットゲームではお約束として許されていたこのケースも、グラフィックがリアルに近づくにつれて、違和感がどんどん大きくなってくる。例としてFF15を上げる。
FF15においては、主人公が属する国は「魔法」を主体とした文化の国で敵対勢力が属する国は「近代文明」を主体とした国であるという。
クリスタルの加護があるので主人公(王族)とそれに近しい人物は魔法を使うことが出来るが、それ以外の人々は魔法を使うことが出来ない。
魔法は強大な力を持つので敵勢力はクリスタルの破壊を目論んでいる。
・・・という設定だ。
すでに発表されている動画の中で、主人公は敵から銃撃を食らっても魔法の効果により銃撃を一切喰らわないというものがあった。また魔法の力により何もない空間から武器を召喚して戦うことが出来るのだという。
別にその設定自体は構わないけれど、魔法を使うことと銃を武器にしないということはイコールで結びつかないのでは?と思ってしまう。魔法を使うことは何かを消費するのだと思うけれども、銃を使って戦えばその消費もする必要がなくなる。銃を使うことを制限されているのでない限り、どちらがより効率的であるかすぐにわかると思う。
人間は生きていく上で、効率的なことをチョイスして発展してきた。剣より銃の方が効率的であるとわかったから警察や軍隊には剣ではなく銃が標準として装備されている。
ではなぜFF15の世界では、現代社会とほぼ同様の文化がありながらそのような設定になっていないのかがわからない。「そういう設定だから」というだけではなかなか納得しづらい世界観を作り上げていると思う。近隣諸国に自国よりも優れた文明があれば、それを取り入れようとするのが自然だし、それをあえて拒否するというのはよっぽど特別な事情が必要だと思う。
FF15に関しては、キャラクターデザインへの賛否が別れるところが多い作品だけれども個人的には、非常にリアルな世界設定のあるわりにいろいろな面で「なんでこういうことになっているのか?」とすんなり納得しづらいフィクションが構築されていることの方が非常に気になる。どうみても戦闘に向かなそうなファッションであったり、モンスターが跋扈しているオープンワールドのわりにインフラがまったく滞りないように見えるなど。
これは写実的な非常にリアルなグラフィックを採用したことの弊害だと思っている。グラフィックがリアルに近づけば近づくほど、ゲーム中での世界設定は現実と違わないリアリティが求められる。「設定はそうなっている」ではただ荒唐無稽なだけになってしまう。個人的にだが、FFに関しては今のキャラクターデザインではなくトゥーンシェイドのようなポップなデザインを採用していればその辺りの現実社会とのズレみたいなものも多少は薄まっていたのではないかと思っている。残念ながらFF8・FF10・FF12・FF13とリアルな頭身のキャラクターデザインが採用されているので、今後もこの傾向は続いていくのだろう。
最後に
表現力が非常に増した最近のゲームにおいて、ファミコン時代のお約束が通じる部分と通じない部分が出てきている。グラフィックがハイレベルになればなるほど、現実的には考えられない部分が矛盾や違和感として噴出してくる。キャラクターの皮膚に毛穴が見えるほどの作り込みの前に、もっと基本的な部分の構築が大事だと思う。
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