恋人ができなかったので、本を読んで代用しようとした話
フリーター時代、大体20代前半くらいの頃、彼女が出来なかったので青春小説を読んで代用しようとした。
青春小説を読めば、バーチャル的に恋愛を体験できると思ったからだ。
読んだのはなんだったか、三田誠広作品が多かったように思う。変化球でツルゲーネフの「はつ恋」とか読んでみたこともあった。舞台は高校なんかが一番多かったかな。宮本輝とかもこの時期に読んだ気がする。
内容とかはもう殆ど忘れてしまったけど、どれも面白かった記憶がある。主人公が葛藤すれば自分に置き換えてみたり、ラブシーンがあれば、「いいなぁ」と主人公を羨んでみたり。内容的には比較的ハッピーエンドになるような話は少なかったように思う。切ない青春物語、というものが多かった。
ただまぁ、読んだ結果自分の恋愛観に何か化学変化があったか?と言われると特にない。女性心理がよくわかった、とかそういうこともないしあくまで物語として楽しんだ。
とにかく思ったのは、恋愛や青春モノなんかの小説を読んでも、バーチャルの体験にすらならないということ。一番身近なテーマだったので、疑似体験的に自分の身になるかと思ったけどそんなことは全くないんだな、と思った。やはりあくまで女性としっかり付き合って(しっかり付き合わなくても)自ら体験していかないと身につかないのですよ。
本を読むことは疑似体験になる、と漠然と思っていた。ところがSFとか読んでてもあくまで物語として読んでいるだけで決して擬似体験だと思いながら読んではいないのに、なぜ青春小説だけは疑似体験出来るものだと思ってしまったんだろうか。
「書を捨てよ町へ出よう」という寺山修司の本も同時期に読んだ。これが真理だろうなと今でも思う。
技術書を読んだってプログラム技術はやっぱり身につかないし。読みつつ手を動かさないとダメね。
本を読むことが決して悪いこと、とは言わないです。僕のような期待をして本を読んではダメということね。