底辺過ぎてちょっとビビる

26歳からIT業界にいるエンジニアが、まったく成長できてないことを確認するブログ。備忘録的に使いたいとも考えています。

ゲームの会話シーンの立ち絵について

国産RPGに対して、ゲームデザインとか世界設定とかでの文句は出てくるがそれはあくまで「惜しい!もう一歩踏み込んで作ってくれ!」という感情から出てくる。しかし中には、そのゲーム作りは誰に教わったんだ?と言いたくなるようなゲームが出てくる。今回ピックアップしたようなゲームのことだ。 アドベンチャーゲームならまだしも

 

最新の据置機で出すRPGの会話シーンで手抜き丸出しの立ち絵を使うな

 

と言いたい。例として、ファアリーフェンサーFというコンパイルハートから発売されたRPGがあるのだけど、会話シーンがこんな感じ。

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画面に登場している人物同士で会話しているはずなのだけど、キャラクターが完全にこちら側を向いた状態で会話している。この会話シーンを誰が眺めているのだろうか。左の画像の左端にいるのがこのゲームの主人公キャラクターなのだけど、プレイヤーは彼を操作しているのになぜ彼もこちらを向いた状態で会話シーンに登場しているのだろうか。普通こんなシーンを見たら、違和感をおぼえるものだろうけど。

 

 

 

ちょっと古いゲームだけど、プレステ2で発売されたペルソナ3と言うゲームでも会話シーンでは立ち絵を採用している。

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見てもらえればわかるが、会話シーンの背景に登場人物がいて、誰が発言しているかを立ち絵で表現している。あくまで補足にすぎない。こういう立ち絵の使い方は効果的に感じる。というか、普通に考えられる立ち絵の使い方だろう。

 

 

会話シーンにおけるキャラクターグラフィックの表現は進化してきた。以前主流だったのは、会話の吹き出しに顔アイコンがあるケース。これは従来吹き出しに文字のみだったところにキャラクターの顔アイコンが付くことで表情などがわかるようになった。

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これはゲームにおける表現の進歩なので、良いと思う。ドットでキャラクターが演じているころは表情の変化をつけるにもドットを何パターンも作らねばならず、そういった労力を減らす利点もあった(と思う)。このブログでたまに言及することがあるポポロクロイス物語はこの点でドットのキャラクターがそれはなめらかなアニメーションで作られていて、とても表情豊かだった。なので、吹き出しの顔アイコンは不要だった。

 

吹き出しの顔アイコンから進んで、画面自体にキャラクターを登場させることで更に表現は増した。先ほどのペルソナのような感じ。あくまで顔アイコンや立ち絵は会話シーンの補足であって、それ自体がメインになることはないはず。

 

端的に言ってしまえば、このフェアリーフェンサーFというゲームは「手抜き」で作られたRPGと言ってしまって良いと思う。

 

そもそもこのゲームはダンジョン内以外でキャラクターを俯瞰で見ることがない。何かイベントが発生したと思ったら先ほどのような立ち絵の会話シーンが挿入される。町などでも、キャラクターが拠点(例えばショップなど)に移動する には拠点を選択して移動するというシステムをとっている。移動した先でも似たような会話シーンが挿入される。 俯瞰された状態のキャラクター同士が会話をすることが自然なはずなのに、それをあえてやらない。

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町の一枚絵。ここから武器屋とか防具屋とか場所を選択して直接移動するシステム。

 

言ってみれば、このゲームをRPGと捉えることが間違っているのかもしれないけど、「JRPG」と言われるゲームを指すときにコレも含まれていると思うとなんとも言えない気持ちになる。コレをわざわざRPGというジャンルで出すくらいならはじめからアドベンチャーゲームとして出せばいいのでは?と思ってしまう。

 

コンパイルハートからは「神次元ゲイム ネプテューヌ」というゲームも出ているけど、コレも似たようなスタイルのゲームだ。ダンジョン内以外でキャラクターを俯瞰で見ることはなく、イベントごとに会話パートが挿入されてイベントが進む。 

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登場キャラクターが会話しているシーンをとにかく見たい、という人向けゲームなのだろうか。プレイ動画を見たことがあるが、キャラクター同士が延々と会話をし続けていた。

 

百歩譲ってこれらのゲームがまだ性能が足りていないプレステ1あたりで発売されたゲームなら、プレステ1での処理の限界等を考えるとそういう表現も方法としてはアリかなと思わなくもない。しかし、プレステ3で発売されたゲームだと考えれば、そのポテンシャルをほとんど使えてないこのゲームの出来を見るとゲームデザイナーは何をしていたんだろうと思わざるをえない。

 

また携帯ゲーム機、というならまだ少しは理解出来る。容量がまだ据置機に比べたら少なく、ゲーム的な表現の省略をしているのだなと解釈するけども。こういうキャラクター主体のゲームにありがちな、「ゲームシステムは特に無し」「シナリオもお察し」という結果になりがちなのはなぜなんだろうと思う。ユーザーが求めているのは「かわいいキャラクターのイラストと声のみ」だと思っているのだろうか。なぜ「独特なゲームシステム」で「興味深いシナリオ」のゲームになりにくいのか。ユーザーはそんなもの求めていないとでも思っているのだろうか?

 

フェアリーフェンサーにしてもネプチューヌにしてもゲーム製作者から【凄いゲームを作ってやるぞ、新しいゲームを見せるぞ!」というような野心的なものは何一つ見えてこない。

 

ゲーム制作の素人からみて、わからなことばかりだけどぜひ製作者に聞いてみたい。

 

 

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パッケージ絵に天野喜孝使うなよ・・・